島倉千代子の生涯は4人の詐欺師?による人生いろいろだった

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2013年11月75歳で肝臓がんのためその生涯を閉じた、歌手の島倉千代子(没75)。

演歌界を代表する人気歌手だった彼女の代表曲といったら「人生いろいろ」。

だが彼女の人生を振り返った時人生いろいろだけでは済まされない、壮絶な詐欺師とも言える人間に常に泣かされ続けた人生だったとも言える。

過去に例の無い騙され続けた人生。それでも彼女は信じたのか~を追ってみよう。




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目次

島倉千代子の生い立ち

1938年(昭和13年)3月生まれの島倉千代子は東京北品川の裏長屋の6人兄妹の4人目に誕生した。
生い立ち
出典:http://www.jiji.com/jc/d4?p=smc001-img0208&d=d4_psn

時代背景から戦争も当然体験しており、7歳で疎開した、長野では割れた瓶で生死を彷徨うレベルの怪我をしてそれが元で腕に47針の傷跡を作る。

幼い子供の47針の傷跡と当時の医学を考えても、想像を絶する酷い傷跡だったのだろう。

いつの時代も、子供は残酷で、その傷が原因でイジメがあったらしく、当時はそんな背景から全く口を利かない子供時代だったと言う。

母親のナカはそれを気にして風呂場で美空ひばりの「リンゴの唄」を練習させ、これがきっかけで、

歌手になりたいと言う小児麻痺だった姉の敏子と「のど自慢大会」に出場するようになり「のど自慢荒らし」と言われ賞品獲得する。

生涯
出典:http://avanamicroinsurance.com/archives/13206

その後、コロンビア歌謡教室に通い1955年わずか16歳で「この世の花」でデビュー。半年後200万枚達成。

1957年19歳では「東京だョおっ母さん」が150万枚の大ヒット。

その後の活躍はご存じの通りです。

どこで間違えてしまうのか、彼女の人生は、この敗戦後の日本で大スターとなったとこから始まったように思えてしかたありません。

島倉千代子の最初の結婚

このようにスターの階段を駆け上がった彼女は20歳で東京高輪に1戸建てを購入。

最初に彼女を食い物にした男は最初の旦那となった元阪神タイガースの藤本克己だった。

交際はハッキリと分からないが正式な結婚前に、数年間あったらしいが正式には千代子の父が亡くなった事で支えてくれた藤本と1963年に結婚。
旦那
出典:http://laughy.jp/1421976308700123717

母のナカや家族は大反対したそうだがそれでも反対を押し切って25歳の結婚だった。

反対しながらも当時の金で母は持参金1000万円用意したと言うがその金はすぐに消える事になる。

藤本克己は相当金にだらしがなかったようで、直ぐに彼の付けがたまっていたオーダーの洋品店への支払いや、引退後始めたスナック「ジャガー」やキャバレーなどに手をだして事業に失敗。

1963年から68年の離婚まで、5年程の結婚生活で彼女に残した借金が当時の金で総額6000万とも8000万とも言われた。

金目当てだったのか、考えがまったく無かったのか結果的には島倉がこの借金を被った事が後に続く不幸の連続になった気がしてならない。

尚この藤本克己との間に結婚前に1度。結婚してから2度中絶をしている。

晩年までこの中絶した3人の子供を3人で忍と名を付けて、小さな地蔵に付け肌身離さず持ち歩いたと言う。

今では彼女が亡くなり同じ墓石にその名を刻まれ母の名と並んでいる。

そして当の本人藤本克己は現在79歳でご存命。




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島倉千代子の愛人だった男

まだ藤本克己と婚姻関係にあった1961年もう既に、当時大スターだった彼女がファンの投げたテープが目に当たり失明寸前の怪我をする。

その治療を担当した男が第二の男の眼科医の守屋眼科の守屋義人だ。
守屋
出典:http://www.omiyagerecords.com/?pid=89376896

この守谷が島倉離婚後にも親交があったようで愛人とも言われたが男女の仲ではあったのだろう。

守屋に頼まれた1975年実印を貸してしまう。

これによって全く面識の無い赤の他人の借金の保証人となった彼女は総額16億円と言われる借金を負う。

1977年には守屋義人自身も事業に失敗。不渡りを出す。

連帯保証人にされていた島倉はまたも守屋の借金
2億4千万円を先の16億と合わせ総額20億円近くの借金を負う事となる。

守屋義人は不渡り後失踪。多分こゆうタイプは当時幾つだったか定かではないが絶対に存命しているのでは~と思えて仕方ありません。

生きてますね。きっと・・・

島倉千代子を救ったはずの細木数子

この膨らみに膨らんだ借金の肩代わりとなったのが同じ1938年生まれの細木数子だった。

細木数子がしたことは、うわべ上は簡単に言うと借金の肩代わりとなって、債権者を当時経営していた自身の銀座のクラブ艶歌に呼んで、借りた額を一人一人聞いてその場で返済。

現金で3億を用意して、借りた金を支払う約束でその場でカタを付ける。
見事に20億近くを数億円で話をまとめたと言う。
細木数子
出典:http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/index.php?cat_id=177&start=20

当時彼女は、8〇3の女としても有名だった。自身も女ヤクザと言われたとか、言われないとか・・・

そんなこんなで島倉の興行権が細木の手に渡る。

この興行権をいいように利用して当時売れっ子だった島倉を文字通り「馬車馬のように働かせた」と言う。

数億円だった返済額が細木の二転三転する話ようからして結局は何十億も島倉に支払わせたと言うのだから悪どい。

ヤクザから守ったふりしてとことんまで島倉から搾り取った細木数子・・・

同じ敗戦後に生まれた二人の真逆の人生です・・・
細木数子の生い立ちがヤバい!暴かれた悪評と親兄妹もヤクザの噂

島倉千代子最後の締めにはスタッフに~

そんなこんなでやっと細木の手も離れホットしたのも束の間、とことんまで詐欺られる宿命だったのか、はたまた、細木数子と同じ時代に生まれ、あの戦後の混沌とした時代に生きながらも、本来持って生まれた性分が違うのだろう。
詐欺
出典:http://atmatome.jp/u/rameka/4eqxo5l/

何度でも人を信じてしまう島倉千代子は、またしても2007年事務所のスタッフに資産を奪われ借金まで負うはめとなる。

騙され続けた彼女の人生は最後、歌う事だけを望んで肝臓がんに侵され2013年11月8日75歳でその生涯を閉じる。

実の弟さん曰く、全ての借金の返済を終えて亡くなったと言う。




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おわりに

島倉千代子と言う、恐らく純粋で真っ直ぐな疑う事を知らない世間知らずの女性を騙した男達も女も今だ
健在される方が多い事に驚く、憎まれっ子世に憚るとはよく言ったもの。今彼女を騙した人間は何を思うのだろう。
やっと全ての借金を返済して身も心も綺麗なままであの世に旅立った島倉千代子さんがどうか安らかでいられますように。願わずにはいられない。ご冥福をお祈りします。


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