チンギスハーンの子孫と家系図に驚愕!蒼き狼と呼ばれた精神異常者

この記事は4分で読めます

チンギスハーンアイキャッチ

日本の国技相撲がモンゴル人の大活躍によって盛り上がる
中過去の英雄として忘れてならないのがモンゴルと言えば
チンギスハーンだ。

残忍な性格故あのユーラシア大陸を次々制して殺戮の
限りを尽くしてモンゴル帝国を設立したハーン。

蒼き狼と呼ばれた彼は今で言う精神異常者だった。

チンギスハーンが残した子孫と家系図、そして家族への
思いを追ってみよう。




Sponsored Link

目次

チンギスハーンプロフィール

本名     チンギス・カン
出生日    1162年5月31日
死去     1227年8月25日

チンギスハーンモンゴル人の英雄と言われて~

チンギスハーンという名を知っているが、そもそも
チンギスハーンは何をした人なのかはわからない人は
多いのではないでしょうか?

ここでは、チンギスハーンがどのようなことをして
有名になったのかを知らない人向けに簡単に説明していきます。

小さい集団から大きな集団に別れてお互いに抗争していた
モンゴルの遊牧民を一代で統一して、中国北部から中央
アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服しました。

最終的に当時の世界人口の半数以上を統治するに至った
人類最大規模の帝国であるモンゴル帝国を築き上げたことで
有名な人物です。

チンギスハーンの死後は、その帝国は百年以上をかけて
解体されたのですが、その当時の影響は中央ユーラシアでは
生き続け、遊牧民の偉大な英雄として有名でした。

特に故国モンゴルでは神と崇められており、現在のモンゴル国の
国家創建者として賞賛されています。

チンギスハーンは初代モンゴル帝国の皇帝

先ほどのチンギスハーンの経歴でもわかるように
チンギスハーンは初代モンゴル帝国の行程としても
知られています。

そんなチンギスハーンは1227年8月25日に
65歳という年齢で亡くなられました。

2代目:オコデイ

3代目:グユク

4代目:モンケ

5代目:フビライ

というような順です。

5代目のフビライ・ハンはチンギスハーンの孫としても有名で
孫のフビライの業績も社会の教科書に載るほど有名な人ですよね。

フビライは、元という国を開国した人ということでも知られていますね。

また、モンゴル帝国は5代目の皇帝フビライを最後に
解体されてしまったのですが、チンギスハーンと
フビライハンの業績は亡くなった後も称えられ、有名な
人物として知られているみたいですね。




Sponsored Link

チンギスハーンの子孫は全世界に1600万人越え!

チンギスハーンの子孫の情報についてなのですが
海外サイトが報じている研究では、英レスター大学で
遺伝学を教えるマーク・ジョブリング教授が遺伝子実験を
されています。

アジアの各地130近くの箇所から集めた男性5300人を
超えるY染色体を分析した結果、なんと被験者の37.8パーセントに
11系統のY染色体配列のいずれかが発見されたということで
話題になりました。

ちなみに、性別というのは、XとYという2つの染色体の
組み合わせで特定されてます。

XXであれば女性、XYであれば男となります。

Y染色体は男性の遺伝子にしか見られないとされています。

チンギス・ハンも始祖の遺伝子を受け継いでいると
いうことで知られていて、これは多くの現代人男性が
わずか11人の男性のY染色体を引き継いでいることを
意味する研究結果となっております。

統計的に8億3000万人ものアジア人男性が
特定の男性1人の子孫だと言えるということです。

ちなみにこの始祖と呼ばれる11系統の遺伝子を
受け継いでいる者は、12~13世紀にかけて
巨大なモンゴル帝国を築いたチンギス・ハンがおり
男系子孫の数は1600万人を超えるとも言われています。

いかに広大なモンゴル帝国を構築する過程で男は殺害し
女は強姦してから殺されたと言われるチンギスハーン
らしい伝説的な数字と言えるでしょう・・・

また、多くの妻と子どもがいた16世紀中国明朝後期の
建州女直の部族長であるギオチャンガもその一人みたいで
彼の男系子孫は150万人以上になると考えられているそうです。




Sponsored Link

蒼き狼と言われた精神異常者と言われる理由に驚愕

過去地球を股にかけた大遠征と言われる4つの遠征の中でも
最も長躯の遠征と言われたのがチンギスハーンの西方大遠征だ。

この西方大遠征は後にも先にも歴史的人物として語り継がれる
指導者として今に語られえるが、大遠征の中でくり返し行われた
のは他民族の虐殺、破壊、辱めがその全てであったと言われる。

チンギスハーン自身自らの口でこう語っている。

『その泣き叫ぶ顔を見るのが無上の幸福』と堂々公言している
事からも現代で言うところの精神異常者だったともいえる。

最も歴史上に名を遺す人物に珍しい残忍性ではないが
彼のその部分も常軌をきした残忍性として語り継がれている。

オトラルの攻略でモンゴル史に残る1219年9月のオトラルの
町の知事ガイルハーンはモンゴルの使節団を殺害したことから
5カ月の戦いののちオトラル陥落となりその身をチンギスハーン
に渡される。

当然殺害されるがその時の世にも残忍な殺害方法が
いかにも当時のチンギスハーンの残忍性を物語っている
と言われている。

体の全ての穴に融けた金属を流し込まれ殺害されている。

この身の毛もよだつような残忍な殺害の方法はチンギスハーンの
ほんの一部でしかなかったと言われている。

当然オラクルの町は跡形も無く破壊され全ての住民が
殺害され、これが世にいうモンゴル帝国の大殺戮の
始まりだった。

重鎮の部下であったボオルチュ・ノヤンに語った
『男としての最大の快楽は何か?』

の答えが狂人過ぎる。

部下に問うた答えはどれもチンギスの求める答えとは
違い最後に答えを語る。

彼の答えはこうだ。

「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し
その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、
その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えた。
(モンゴル帝国史):引用

モンゴル民族の言い伝えとなっている伝説の“蒼き狼”
モンゴル民族の祖先と言われています。

巨大モンゴル帝国を設立した蒼き狼はある意味では
精神異常者である意味では優秀なリーダーシップの
二つの異なる一面を持って現代に続くモンゴル帝国を
設立した人物なのです。

今も語られるモンゴル人全ての英雄チンギスハーン
の異常な精神状態があってこそ成し遂げる事が出来た
西方大遠征。

モンゴルの礎となった人物が今どこで眠っているのかも
分から無い事も、自分の死を公表するなと命じたチンギス
ハーンらしい最後だったのかもしれませんね。

まとめ

今回はチンギスハーンに纏わる情報について紹介しました。
世界史が好きな人は、こんなこと知ってるよ!という人も多いと思いますが、知らない人も多いのではないでしょうか?
たまには、こうやって自分が生きている前の歴史について学ぶのもいいですね。



Sponsored Link

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

管理人 さゆりです