福永祐一父洋一の落馬事故を支えた母や祖父の介護動画と現在

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相次ぐ落馬で戦線離脱中の騎手福永祐一。

最近では嫁の松尾翠との結婚後テレビ出演でも
見かける彼のルーツとなる父親は過去天才ジョッキー
と呼ばれた福永洋一だ。

武豊の父親らとライバル関係にあり天才と呼ばれた
男の競馬界で知らぬ人が居ない彼の落馬事故によって
一転した人生。

そしてそれを現在まで支える母親と祖父の介護動画
とそれを取り巻く今までを追ってみよう。




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目次

福永祐一の父洋一~天才と呼ばれた男

福永祐一がまたも17年2月5日のきさらぎ賞で
スズカメジャーから落馬。

その後のレースは出場したものの左肘内側側副
じん帯を損傷により戦線離脱する事が発表された。

福永家と落馬は切っても切れない関係・・・

今や落馬が多い事で知られる福永祐一の父、福永洋一
は過去も今も競馬ファンの中でも特別な存在として
語られる人物だ。

父親
天才ジョッキーと言われた福永洋一を、母親に福永裕美子
さんとの間の長男として1976年12月9日に誕生。
父
出典:http://jockey.sp.netkeiba.com

高知県生まれの彼は姉が高知競馬の騎手松岡利男
と結婚した事をきっかけとして上3人の兄も騎手
という文字通りの競馬一家。

馬事公苑 花の15期生と呼ばれたそのメンツには
今も知られる柴田政人。岡部幸雄。伊藤昌徳らと
同期の福永洋一。

デビュー当時から破天荒な乗り手として名を馳せた
洋一はデビュー当時は他の騎手からも粗悪な印象を
持たせる程、勝つ為のギリギリの騎乗でクレームも
度々もらう事があったという。

今とは全く競馬システムも違いフリージョッキーなど
おらずほとんどが自厩舎優先でエージェントも無かった
時代の9連覇。

これが現在に置き当てたらどれだけ凄い事なのかが
分かるだろう~

その騎乗スタイルは自由奔放のまさに規格外で当時も
今でもタブーと言われるルールにとらわれない乗り手
として勝利するスタイルだった。

菊花賞の二ホンピロムーテ、皐月賞のハードバージ

トウショウボーイは乗り替わりのテン乗りでの神戸新聞杯
日本レコード圧勝の圧倒的な勝ち方で競馬場を沸かせた。

父親
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/aaitosinotenoint/33273559.html

そして何と言っても福永洋一と言えばエリモジョージ。

気まぐれジョージと言われたその馬に乗って勝利する
洋一を見てファンも同業者の競馬界でも

『洋一が乗ったがゆえに勝てた馬』
かつて自厩舎の馬だったエリモジョージの手綱を
とって12回騎乗した池添兼雄騎手は言う。

エリモジョージの天才を引き出したのは、天才と呼ばれた福永洋一騎手であった。
稀代の癖馬と言ってよい。彼には負担重量は関係なく、逃げのペースも関係ない。ただ気分良く走れば、異常な規格外の能力を発揮するのだった。 天才と狂気は紙一重だ。気性難の馬、癖馬とは、狂気を持った馬と言ってよい。
鞍上に洋一を迎えたシンザン記念で初重賞勝ち、古馬となって水の浮く不良馬場の天皇賞をミズスマシのようにスイスイと逃げ切った。小柄で細身の馬体に60キロの負担重量を課せられた函館記念では、大逃げを打って大差のレコードで圧勝。京都記念でも61キロを背負って再びレコードで大差の逃げ切り勝ち。その後一年間を凡走し続けたが、再びの圧巻は60キロを背負った京都記念を4馬身差、62キロ背負った鳴尾記念を大差、宝塚記念を4馬身差と、三連続の圧勝劇だった。
出典:http://www.compassion.co.jp/column/course/column026

池添兼雄は、エリモジョージで結果を出す事なく
二流騎手として引退。その後、調教師に転身。

そして彼の息子池添謙一こそがエリモに続く
気性難で知られたオルフェーブルとコンビを
組んで三冠を取り、謙一は史上最年少三冠騎手となり
有馬記念も勝った。

そんな彼ら競馬界の人間が天才と言うのは福永洋一の事。

彼に比べたら岡部も武豊も秀才だと、競馬界や調教師
騎手の間では語り草になった男、それが福永洋一という
短くも破天荒で八方破れなジョッキーだった。


懐かしい現役時代洋一氏最後のダービーに~

79年落馬するまでの70年代を代表する
リーディングジョッキーだった。

福永祐一の父落馬事故

1979年3月4日阪神競馬場のメインレースである
毎日杯でマリージョーイに騎乗する。

最後の直線でハクヨーカツヒデに乗る斎藤博美が
落馬した事から、落馬した斉藤にマリージョーイの
脚が接触した事がきっかけでバランスを崩して落馬。

この時要一は前方にのめった馬の背から頭を強打。

この強打で舌の3分の2以上嚙み切る重症を負い
意識不明となる。

他、頭蓋骨骨折、脳挫傷、舌裂傷という大怪我。

この時の脳障害が深刻っだった事から現在に
至るまで深刻な障害として洋一の身体に残る
事になる。




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福永祐一の父要一を支えた祖父

その父の再起不能ともとれる大事故(落馬)によって
福永家は大きく生活を様変わりさせていくのだ。

父洋一の症状は思いのほか重症で脳障害を負い
現在に至るまで多少の回復を見せながらもその後
騎手としての復帰は叶わず現在にいたる。

当時の祐一の年齢が2歳、下の妹が5カ月だったと言う。

当時24歳で右も左もわからない状態の母親を支えたのが
裕美子さんの両親だったと言う。

北海道出身の裕美子さんのご両親は東京でお弁当屋
さんを運営しながらも乳飲み子と不自由の利かなく
なった義理の息子洋一の為東京から滋賀県の栗東に
移住してその後、福永家を生涯支えたと言う。

この祐一からしたら祖父母の存在があって
何不自由なくすくすくと育つ事が出来たと。

祐一は言う。

子供の目から見ても分かるくらい愛情を持って
祖父は自分の息子以上に父洋一を可愛がって面倒を見ていたと。

あの存在があったからこそ福永家に不幸感
はなかったのだと・・・・・

福永洋一を今も支える母の現在

そして当時の様子をテレビで見た事のある方はご存じ
の方が多いと思いますが、この裕美子さんがかなりの
美女

福永氏落馬事故当時24歳で2歳の祐一と5カ月の長女を
抱えた若妻だった裕美子さん。

落馬して直ぐの集中治療室がある兵庫県の病院に通う
のも母親に幼い子供達を預ける事が出来たからこそ
安心して毎日栗東から通う事が出来た。

入院から1年8カ月後に退院を決めたのも家での家族
(両親)のサポートがあってこその本格的リハビリが
かなったと言ってもいい。

祖母は祐一が競馬学校に入学した年に騎手姿を
見せる前に他界。

そして実の息子以上に愛情と全ての人生を賭けて
夫である要一を支えてくれた父も他界。

今はディサービスの力を借りながら元気に仲良く
夫婦で過ごしているんだそうだ。

若干24歳で夫が不遇の事故に合うと言う誰も想像しない
不幸に遭遇しながらも、それでも

「私にとっては、介護というよりこれが日常であり、人生。
    振り返ってみれば楽しかったですよ」


奇しくも息子である祐一も落馬の多い事で知られるが
よもや父親のような天才でなくていいから、息の長い
騎手としての活躍を期待したいですね。




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おわりに

不世出の天才ジョッキーと言われた福永洋一のその生い立ちは決して両親に恵まれた環境とは言えなかった。だが天性とも言える騎手となってそして家族を持って、障害者となり、馬に乗れない代わりに最高の伴侶と、家族に恵まれた天才ジョッキー福永洋一。天才ジョッキーの父の威光をバックに忘れ形見の息子福永祐一の活躍に益々期待したいですね。


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