白鵬引退後も帰化反対の父母に溺愛された子供時代と涙の入門まで

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強すぎるが故に2017年春場所での優勝を逃すと
またも引退後の進退が噂される横綱白鵬。

引退後がいつか、今かと噂される中年寄名跡を取得して
親方になりたい白鵬の帰化問題がささやかれる。

彼が自国のモンゴルで相撲取りになる事さえ反対した
母親と母国では国民的英雄だった尊敬する父。

彼の家族はモンゴルでも成功者で英雄として有名だ。

そんな彼の子供時代や現在の衰えが噂される中両親への
想いや相撲界への彼の想いを追ってみよう。




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目次

白鵬の引退後は年寄名跡へ

待望の日本人力士の中から待望の期待の中
19年ぶりの日本人力士稀勢の里が誕生した。

盛り上がる相撲界で、やはり盤石の強さと
歴代の優勝回数で横綱として相撲界を牽引して
きた功績はこの横綱白鵬の力が大きいだろう。

2016年の1年は最も白鵬にとっても優勝回数2回
と少なく、もはや勝って当然の世間の厳しい目の
中2016年九州場所時点で37回の優勝回数を誇る。

そんな彼は引退後のプランの一つとして角界にて
多大な功績を残した横綱だけに許される「一代年寄」
としての権利。

歴代の大横綱を超越した活躍ぶりと平成の大横綱
として誰も白鵬の功績では文句は言えないのは明らか
なのです。

だけど肝心の問題は彼の功績とは関係の無い所に
あるのです・・・

白鵬年寄名跡に帰化を求める相撲界

それが帰化の問題です。

知っての通り長らく日本人力士が居ない角界で
その19年間モンゴル人である彼らが横綱として
活躍してきました。

今年の稀勢の里の横綱昇進は悲願の日本人力士からの
横綱誕生だったのです。

話は戻って白鵬が歴代横綱の中でも紛れもない活躍と
優勝回数を誇っているのは間違いありませんが
それでも日本の国技である相撲協会では規定の規則が
あるのです。

それこそが日本国籍を要する者。

つまりは功績や成績云々もさることながら日本での年寄名跡と
なるにはまずその資格として日本人として帰化するべき
との規定を設けてあります。

この壁がどれだけの功績を残そうとも白鵬の前に今だ
高くそびえているのです。

何人も帰化して日本で親方としても、それ以外でも
活躍する外国人元力士は沢山います。

でも白鵬にはおいそれと帰化出来ない理由があるのです。

白鵬の帰化拒む国民的英雄の父親とは~

その帰化出来ない大きな理由の一つが彼の生い立ちと
その両親に関係があるようです。

彼の父親ムンフバトは故郷モンゴルで国民的英雄
として今でも現在の横綱白鵬よりも有名だと言われています。
父
出典:https://www.hakuho-club.jp/syoukai.php

それはムンフバト氏がブフと言われるモンゴル相撲
5年連続6度の優勝をした栄誉ある元アヴァルガ
(大相撲の横綱に相当)。

そしてムンフバト氏はそれだけに収まらずメキシコ五輪
のレスリング重量級のモンゴル初の銀メダリストでもある

からに他なりません。。
父

父ムンフバト氏はモンゴルで国民栄誉賞を獲得した
モンゴルでも文字通り国民的英雄なのです。

そんな父と母の元に5人兄弟の末っ子として誕生した白鵬。

裕福な家庭環境の中末っ子として英雄扱いの父と
医者だった母や4人の兄弟に溺愛してやんちゃな
少年時代を送った白鵬~




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白鵬の母親もチンギスハーンの血統故に

両親の溺愛はモンゴル人の風習である末っ子は跡取りと
して特別な存在だという事もあり超特別な存在。

特殊な習慣から彼は8歳までモンゴルの風習に
習い母親の母乳を飲んで育てられたのです・・・汗

そんな環境の中無理にモンゴル相撲を勧められる事
なく学生時代はバスケットボールに熱中してスクスクと
育った白鵬は兄が柔道の教員になった事から柔道を
勧められたそうだ。

母
出典:http://ameblo.jp/hakuho-69/entry-11603681210.html

だが彼は柔道では無く相撲に興味があり兄に大否定!

   「絶対に嫌だ、相撲をやりたい」

この言葉に母親タルミは当初
ショックで言葉にならなかったそうだ。

末っ子の白鵬にはのんびりと勉強させて学者にでも
ならせたらいいと考えていたらしい・・・

学者!凄い発想。

ちなみに母タルミ氏も元外科医のチンギスハーンの流れを汲む
家柄出身
とあり、モンゴルの中でもかなりの上流階級だった。

末っ子の白鵬の日本へ行って相撲取りになる!

この事では仲の良い両親が喧嘩するほど

揉めたそうで母親は大反対。

でも最後には、「厳しく激しい稽古にと日本での修業に裕福に
そだったダワー(白鵬)が耐えられるはずはない、きっと辛くて
戻ってくるだろう。」

最後はこう言い聞かせて日本行を許した母タルミ氏。

その足で日本へと飛び立った白鵬は2000年10月25日
6人のモンゴル人と共に日本へ初来日。

当時彼は15歳。

身長も175㎝体重は68kg
相撲取りとしては何の特徴も無い小さな色白の少年だった。

だが母タルミの予想を裏切り彼はその後2年半もの間
たったの一度もモンゴルへ帰る事はなかった。

さすがチンギスハーンの末裔!

母
出典:http://mainichi.jp/graph/2015/01/23/20150123org00m050015000c/006.html

この熱烈キスで両親の溺愛ぶりが良く分かる。

そしてこの両親こそが白鵬の帰化(日本人)に大反対!

誇り高きモンゴル人としてチンギスハーンの
末裔として何でよりによって愛する息子が
日本人などに・・・

この強い両親の反対から彼が日本人に帰化出来ない。

だがら誰も文句言えない功績を残して是非とも
相撲界の取り決めを譲ってくれないか~

これが彼の目論見だと言われています。

だけど並みの根性では白鵬とて現在の功績は
作れなかったんだもの・・・

根性が違います。

白鵬の相撲界への挑戦と入門まで

だがモンゴル出身の旭鷲山をつてに同じ6人の
モンゴル人と日本へ渡るも次々と入門が決まる同胞の
彼だけが最後まで入門が決まらなかった。

痩せた小さなモンゴル人を選ぼうとする親方は居なかったのだ。
入門
出典:http://is-factory.com/post-12842/

当然日本語が分からない彼は英語で
“I don’t want to go back…”と言って泣いたという。
   
    『私は帰りたくない』

帰国前夜の12月24日に哀れんだ旭鷲山が自らの師匠を通し、友人
であった宮城野(元幕内・竹葉山)に受け入れを申し入れた。

当時弱小だった宮城野部屋ののびのびした雰囲気がかえって
良かったとされている。
経歴
出典:https://www.hakuho-club.jp/syoukai.php

当然この時、とんだ拾い物(超の付く青田買い)をした事
に気が付いた人間はいなかっただろう。

あまりに痩せて若い白鵬に2カ月間はとにかく練習の類は一切
させず、毎日吐くほどに、食べさせて牛乳を飲ませた程だった。

この後彼がどれだけの練習をこなしどれだけの努力を
してここまで登り詰めてきたのか・・・

当時来日して、いつまでも入門が決まらない白鵬を
尻目に次々と入門が決まった同じモンゴル人ら
猛虎浪(立浪部屋)、千昇(式秀部屋)、大河(式秀部屋)

誰一人とて残っていない事を考えるとどれだけ、ここまでの
壁が高かったのかが良くわかるだろう。

最後まで誰も入門に声を掛けられなかった小さな痩せた白鵬
が泣いて”I don’t want to go back”と訴えた少年が
その後かつてない大記録を次々塗り替える大横綱となったのか・・・




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おわりに

由緒あるモンゴル国民の英雄を父に持ち母にチンギスハーンの末裔を持った横綱白鵬の年寄名跡の取得現在の時点で八角理事長も認めない方針ですが、別に帰化しなくてもいいんじゃないかな~と思うんだけど・・・どうでしょう?
だってモンゴル人なんだし、相撲界には間違いなくケチのつけられない活躍ぶりです。本人が帰化したくないなら別に無理に帰化しなくたっていいんじゃないかな~っと思いつつ・・・今後の展開から目が離せませんね。


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