マニーパッキャオの生い立ちから英雄になるまでの伝説や年収がヤバい!

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去年のラスベガスでの世紀の戦いから
まさかの判定負けしたマニーパッキャオ。

相手選手のメイウェザーもその後の試合
ですでに引退したが、パッキャオ自身も
メイウェザーの引退後すぐに今年の4月
の試合を最後に引退を表明した。

彼がどうして伝説の男なのか?
生い立ちから英雄になるまでや年収
そして伝説の数々を追ってみよう。
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目次

マニーパッキャオプロフィール

   マニー・パッキャオ
本名   エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ
生年月日 、1978年12月17日(37歳)
出身地 フィリピン、ブキドノン州キバウェ
通称 Pacman(パックマン)
Mexican Killer(メキシカン・キラー)
階級 ライトフライ級 – スーパーウェルター級
身長 169cm
スタイル サウスポー

マニープロフィール
プロボクシング戦績
総試合数 65
勝ち 57
KO勝ち 38
敗け 6
引き分け 2

マニーパッキャオの生い立ち

フィリピンの野菜農家に産まれたパッキャオは
母親の2度目の結婚相手の6人兄弟の4人目として
産まれた。

生活はかなり困窮しており当時1日1食の食事さえも
ままらない生活
で、彼が小学6年生の時父の浮気が
発覚。

この離婚によって尚更生活は苦しくなり、パッキャオ
は中学さえ卒業出来ず、母と共に野菜やタバコのバラ
売りをして家計を助ける。

8歳からボクシングの真似ごとをしてきた彼は
週末になると広場で開かれる草ボクシングの
試合に出場して少額のお金を稼ぐようになる。

14歳の時マニラへ出稼ぎに行き本格的に
ボクシングを始める、しばらくの間は路上で
寝泊まりしながらトレーニングを積んでいた。
マニー生い立ち
この為彼がデビューした1995年1月22日、
16歳1か月の時に、当時の彼はミニマム級にも
満たない体重だったため計量の時ポケットに
鉄の重りを忍ばせ106ポンドに合わせて
やっと計量をパスしたという。

ここがスタートだった。

マニーパッキャオの英雄伝説

彼が伝説と言われるのはその常識的には
考えられない実際には11階級制覇を渡り歩きその
階級を縦横無尽に移動した事。

正式で六階級制覇を成し遂げ「生きる伝説」として
世界中で人気のボクサーである。
マニー伝説
伝説その1
メジャータイトル(WBA、WBC、IBF、WBO)6階級を制覇。
単純に体重でクラス分けするボクシングで考えると
実質「11階級制覇」という人もいる。
・フライ級
・スーパーバンタム級
・スーパーフェザー級
・ライト級
・ウェルター
・スーパーウェルター級
ライトフライ級47kg~スーパーウェルター級69kg
一般的には階級は1つづつあげて、複数級を制覇
していく、理由は通常では階級をあげる事により
パワースピードが落ちて行くから、それを防ぐために
も1つづつが通常である。単純に下の階級で通用した
パンチが1つ階級をあげる事によって全く通用しなく
なる。という事が普通は多い。

パッキャオのこの22kgの増量は普通では考えられない。
それ程階級の壁は高い。彼の凄い所は階級をあげても
全く強さに陰りが見えなかった事。

伝説その2
パッキャオの口癖は「強い奴に会いにいく」
まるでストリートファイターさながらな、彼は
タイトルマッチにこだわらずに、各階級の強い
選手とマッチメイクした事。

これもボクシングのコアファンならばすぐに分る
事で通常は、1つタイトルを取るごとに、そのベルト
を守るべくだいたいはマッチメイクで自分より格下
の選手を選ぶようになります。

誰とはいいませんが現日本のボクサーでも
ボクシングファンを敵に回すようなマッチメイク
ばかりの現役選手も多いのです。

そんな中パキャオは全くの逆タイプ。
マニー伝説
強い奴がいるから階級あげて試合するぞ!
とイケイケで奇跡的なマッチメイクで勝利
を収めてきた選手です。

当然ファンは興奮します。

伝説その3
そんな事が重なり彼のファイトマネーは1試合
2000ドル以上  日本円で20億円以上
自国フィリピンでのテレビの視聴率は63%
紛争すら中断してパッキャオの試合をみよう
と休戦になったという

(フィリピンミンダ島の1部では今だ紛争が
続いているがパッキャオの試合の時は休戦になる)




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マニーパッキャオの年収

彼の年収は2014年こそ10位前後
年収40億8000万円だが
2012年にはスポーツ長者番付で2位の
49億円。    フォーブス調べ

総資産は200億円でフィリピンの国家予算より
多いのではと言われている。
マニー年収
こんな彼の国民的人気から北京オリンピックの
開会式ではオリンピックに出場もしてないのに
フィリピン選手団の旗手を務めた。

現在はフィリピンの国会議員としても活躍してる。

まとめ

マニーパッキャオの生い立ちは極貧生活のなか自らの拳
一つで築きあげたまさにアメリカンドリームそのものだった。
マニーパッキャオはその生きざま自体がフィリピンの英雄。
存在自体が伝説の男であった。

今年4月9日の試合がラストファイトになるマニーパッキャオ。
伝説の男の最後の戦いに今から注目が集まっています。
それ以降は政治に力を注いでいきたいというパッキャオ。
彼の伝説はこれからも続いていくみたおなので今後もパッキャオ
から目が離せませんね。




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