武邦彦が死去。武家に似てない長男の闇と豊の切ない生い立ち

この記事は4分で読めます

競馬一族として知られ、息子に競馬界のレジェンド
武豊や、幸四郎の息子もいる元JRAの騎手で、調教師
の武邦彦さんが亡くなられた。

武氏と言ったら先に挙げた息子も有名だが他2人の
息子の長男の問題でも過去に話題となった。

4人いる息子の中でも競馬に携わる事の無かった
2人の兄の存在や今や誰もが知る武豊の3男としての
切ない生い立ちなど、彼らのルーツでもある父
武邦彦氏がどんな人だったのか、親子関係含め追ってみよう。




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目次

武邦彦が死去!

武豊の父、元JRAの武邦彦さんが8月12日 
1時26分滋賀県の済生会滋賀県病院で
肺がんのため亡くなった。77歳だった。

今春から入退院を繰り返していたらしいが、危篤の知らせ
を聞いた豊氏にその一報が届いたのは、12日に日を跨いだ
深夜、すぐに駆け付けることは出来なかった。

北海道交流戦門別のナイターに参戦していたため・・・

父に北海道馬主協会の重鎮、武芳彦を、祖父に
近代馬術の祖函館大経の直弟子として多くの騎手
調教師を育てた馬術家として有名な、武彦七がいる
文字通り競馬一族の名門として有名だった。

中学2年で京都競馬場で厩舎を開いていた叔父・平三
の勧めで騎手試験に挑戦。

死去
出典:http://laughy.jp/item/5703153a0cf265f8e718114a

何度か落ちて無事騎手としてデビューしたのが
1957年に。

その後JRA通算7679戦1163勝。
重賞は72年日本ダービー(ロングエース)、
73年菊花賞(タケホープ)など80勝。

当時にしては驚異的な高身長で172㎝あった邦彦氏
はその柔らかな騎乗と確かな馬術で”ターフの魔術師
と言われた。

ちなみに豊氏が170㎝。幸四郎氏は177㎝。
間違いない遺伝子の力を感じます。

こんな高身長騎手ではかなり稀中の稀です。

武邦彦の散々の放蕩と酒豪も原因?

酒豪で知られ、若い頃の放蕩三昧は有名だったと言う。

自伝のスポニチコラムでも引退後も酒がやめられず
2回吐血したと書いてあった事も・・・

死去
出典:http://www.jra.go.jp/topics/column/jockeys/03.html

また、過去の何かの雑誌で、あまり両親を語る事のない
武豊氏が、職業的にも、何より高身長172㎝だった事から
尚更気にしてか、
『父が家で箸を持ってるのを見た事がない』

そんな常人では考えられない異様とも言える長年の
習慣となった食生活もその寿命を早めてしまった原因の
一つなのかもしれない・・・




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武邦彦の長男の闇と黒すぎる噂

世間一般的にはあまり知られていないが武家の長男は
武豊ではない。

豊氏は4人兄弟の3番目。
1966年 長男に武伸氏
1968年 次男に克己氏
1969年3月に豊誕生
1978年に幸四郎

長男
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/crossfield_bio/11333915.html

この長男や次男が妻洋子さんの意向もあって騎手の
仕事が危険である事から騎手意外の道を希望した事も
あり、上の兄二人は馬とは無縁の道を選ぶ。

長男伸氏が毎日新聞のフリーターとして掲載するなどの
活動を行うかたわら、母の意向に沿わない選択を選んで
競馬界で超一流の勝ち組となった弟豊強烈な妬みから
2000年覚醒剤で逮捕。

ちなみに豊氏の獲得賞金総額が770億円。年収が
2億から3億と言われている。

その後一般人でもある事から大きく報道される事は
無かったが、ネットの情報では仏門に入って比叡山
に籠っているとの事。

次男の克己氏は銀行員。

長男の黒い噂とは?

幼い頃から競馬一家として育った武家の家は当然
栗東の村社会でその幼少期を過ごしている。

この中で長らく生活するも、この長男伸氏が
邦彦氏の実子ではない?との噂があったらしい。

武家に似つかずかなり太目体系、髪もボサボサ。

幼少期からの顔立ちも全く似ておらず、性格も競馬界でも
温厚な性格で知られた邦彦氏とは全く違い無愛想だという。

こんな事から種違いでは?との黒い噂もあった
ようだ。

その噂の根拠が恐ろしく、競馬一家である武家の事件として
知られる2003年に惨殺されてまだ犯人が逮捕されてない
邦彦氏のいとこ故武勇氏(牧場経営だった)

その容貌が酷似してる事から
このいとこが伸氏の父親ではないか~と笑えない冗談が
競馬会で噂されていたという・・・

想像以上にブラックな噂です。

武邦彦と武豊の親子関係

4人兄弟のちょうど真ん中で、以外にも出来の
良かった上2人を溺愛した両親に、どの家庭でも
3人目となれば珍しい話ではないが、3男の豊
は全く家では構われない存在だったと言う。
生い立ち
出典:http://keibakyoudai.com/archives/34979948.html

そんな事からか豊が競馬学校入学後も3年間の在学中
ただの一度の面会にも両親は来なかったという。

そしてその3年間に豊に知らせず栗東から京都へ
勝手に引っ越しを行ったり。

幼少期も人の良い武邦彦氏の一家の中で豊は
あまり構われない存在のようだった。

ちなみに10歳年下の幸四郎が出来てから尚更
その傾向が強かったとも言われている・・・

同じ自分の子供を差別したのではないと
思うけど、結構可哀相かも・・・

豊こそよく、グレなかったな~と思えます。

こんな生い立ちからか、この後のデビュー後の
発言からも、まだ駆け出しの10代の子供の
発言にしては結構冷めた発言が多いのです。

豊氏の2世騎手としてデビューするときに彼が
マスコミに言った発言が

「父は父、いつか武豊の父と呼ばれるようになりたい」
その後ほどなくその言葉は有言実行とされる活躍をする中

当然邦彦氏も豊の活躍を喜ぶ一方、
1989年自分が勝った事の無い天皇賞をイナリワンで
レコード優勝した豊に

「巧く乗ったけど、レコードで勝てる馬なら私だって勝てますよ」

当時の彼の破竹の勢いの成績と女性人気から親しかった競馬解説
で有名な杉本清氏に
『俺だって今の時代に乗ってれば豊よりモテてる』
きっと冗談だったのだろうと思いたいです・・・汗
出来が良すて可愛くないだなんてあり得ます?

そんな訳ないですよね~あんな激似なんですもん。
それにきっと4人の兄弟の中で一番父の邦彦さんが大好きで
憧れてたのは豊氏だったような気もしたりします・・・

彼はJRAを通して

『ホースマンとしても父親としてもたいへん尊敬できる偉大な人でした。今の私があるのは父親のおかげ。まだまだ見守って欲しかったので本当に残念です。』

おわりに

彼が居なくなっても間違いなくそのDNAを引き継いだであろう
ソックリな息子武豊と幸四郎が競馬界で益々活躍してくれるでしょう。
ともかく競馬界の一つの歴史がこれで消えてしまったと言っても
過言ではない武邦彦氏のご冥福をお祈りします~安らかに




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    • Fee
    • 2017年 8月7日

    成功の裏には幼少期の放置児時代に厩舎内をウロウロしていた豊を見ていて不憫に思った調教師や厩務員や先輩騎手がデビュー後の新人時代に可愛がってくれたっていうのもあるんだろうね。もちろんそれも豊の人間性あっての賜物なんだろうけど。

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管理人 さゆりです