宮沢りえ母親の確執は壮絶過ぎる親子関係と娘を売る強引営業が原因

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ジャニーズの森田剛さんとの熱愛写真が出回り
報道される恋多き女の宮沢りえ。

彼女の奔放な男性遍歴は過去の生い立ちにも関係
があるのかもしれない。

彼女を最大にプロデュースし貴乃花との結婚も
大反対した事で知られる母親。

この親子の確執やヌード写真集に売れる為には手段を択ばない
枕営業も娘に勧めた宮沢りえの母親の若い頃の話題も追ってみよう。




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目次

宮沢りえとりえママの壮絶過去

まずは彼女の産みの母親で2014年に亡くなった
宮澤光子さんを少しご紹介しましょう。

この母を語らずして宮沢りえは語れないのです。

宮澤光子
生年月日 1948年~49年生まれ
没年   2014年9月23日


出典:http://girlschannel.net/topics/206340/

彼女がデビューした11歳当時では一卵性お親子と言われた
この母光子さんは、東京生まれだったらしく女優の加賀まりこ
らも若かりし頃の彼女を知っている。

当時彼女は六本木のホステスをしており、当時デビュー当時の
宮沢りえをはるかに超える美貌で男性の視線を集めた存在だった
と加賀まりこは話している。

若い頃にスカウトされてCM出たこともあったそうだ。

それらしき画像は見つけられなかったが残念ながら・・・

そんな母親がこのホステス時代にオランダ人の男性と
知り合って出来たのが現在の宮沢りえだ。

当時りえを出産後光子さんは、シングルマザーでは子供を
育てられないと言った理由でりえを自分の親に預けて
りえの父親の故郷であるオランダへと渡る。

りえは当時タクシーの運転手だった祖父らに育てられるが
この時が一番幸せな時期だったと言われている。

この祖父と叔母らに小学生まで育てられたりえはその後
結局実の父親と会う事も無く、母光子も結局はりえの父の
家族の反対にあって破局、その後日本に帰国。


出典:http://amanoaki.exblog.jp/tags
今見ても天使レベルです・・・確かに・・・

そこで帰って久しぶりに会った娘のりえの可愛さに
周囲の勧めもあって芸能界へとデビューさせることを
決意する。

この流れからもりえ本人が芸能界に興味を持ったと
いうよりも母親の勧め、母親自身が叶えられなかった
夢を娘に託したことで彼女の芸能界デビューは決まった
と言っても過言ではない。

宮沢りえのをプロデュースする剛腕営業

11歳でモデルデビューした彼女は瞬く間にスターへの
階段を駆け上がったが、18歳で母親の勧めから当時は
かなり斬新だった「ふんどしスタイル」でのカレンダー
発売に、篠山紀信さんによる全裸写真集『サンタフェ』
ヌード写真集の発売。

出典:http://kininaru-anohito.com/archives/2420

発売が18歳だったが撮影は17歳当時だったと言われている。
過去最大の芸能人写真集の売り上げて155万部のベストセラー
となったその写真集の売り上げは今だに破られていない。

宮沢りえ壮絶な男関係

その後彼女がたどった男性遍歴の中でも忘れられない
のが何と言っても92年10月の貴花田(現貴乃花親方)
との婚約会見と、その後母光子の大反対と後に美川憲一が
光子に頼まれて説得したと話しているが、たった3カ月後
破局会見。

その後94年9月には当時妻帯者だった中村勘九郎との
不倫に同じホテル内の別室での自殺未遂。

この中村勘九郎はりえママ公認の仲だったと言われている。

この後も、市川右近や市川海老蔵、中田英寿らとの関係や
熱愛が報道されるもどの男性も母親光子に反対されて破局と
なったと言われている。


出典:http://pinky-media.jp/I0000445

この頃から彼女の拒食症の症状が出始め、治療の一環で
ロサンゼルスに母光子と渡った過去もある。




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宮沢りえにりえママは強引枕営業も?

芸能事務所を自身で立ち上げたりえママはなりふり
構わず利用できると睨んだ芸能人、映画・ドラマプロデューサー
さらに有能な広告代理店マンを強引に取り込む為に母親に
仕込まれた事が枕営業だと言われている。

『○○さんは力がある。ひと晩ともにして来なさい』という指示。
これを彼女は、若い頃から忠実に履行してきた。
出典:http://www.cyzo.com/2016/11/post_30239_entry.html


出典:http://topicks.jp/38514

それに即席ラーメンのCM共演をした(92年)のビートたけし
との逸話でもこんな話があった。

海外ロケで泊まったホテルに深夜、突然りえが『ママに言われて来た』と現れた。たけしはりえを傷つけないように『早く帰って寝なさい』と帰したんです。母親自ら娘の“枕営業”を勧めるわけですから、さすがのたけしも、りえママのパワーに脱帽でしたよ」出典:http://topicks.jp/14424

酷い・・・たけしは当時の宮沢りえのヌード写真集
『サンタフェ』についても、こんな発言をしている。

『娘をヌードにさせないのが親なのに考えられない』

さすがのたけしも毒づいたと言われている。

そんな母光子の作品と言える宮沢りえを育て上げげた
彼女は2014年9月23日に肝腫瘍のため死去。享年65歳だった。




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おわりに

一説には自分に出来なかった人生を娘を持って体現させたと言われるりえママ。彼女亡き跡に今の宮沢りえは何を思って芸能界で活動しているのだろう。母親に気に入られたい、愛されたい、これだけが彼女の希望だったりえを思うままにコントロールしたりえママ。これも一つの親子の形なのだろうか?しかしヌードはともかく、手段選ばずとは言え娘に枕営業は全く理解できない領域だが一体亡くなったりえママの心境はいかなる心境だったのか~今となっては知る由もない・・・


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