尾崎豊の再来?息子がデビューする?父亡きあとの生い立ちは?

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カリスマ的存在となるも1992年あまりにも
若すぎる26歳での突然の死で、当時、社会的にも
大きな衝撃を与えた歌手の尾崎豊。

そんな尾崎豊さんの再来かと思わせる歌声の息子
裕哉のこれまでとこれからを追ってみましょう

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目次

尾崎豊とは?

尾崎 豊
出生 1965年11月29日
出身地 東京都世田谷区
死没 1992年4月25日(満26歳没)
学歴 青山学院高等部中退
ジャンル ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
活動期間 1983年 – 1992年
1983年12月シングル
「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」でデビュー
尾崎自身も18歳だった。二人兄弟の次男として生まれる。

ファーストアルバムである『十七歳の地図』は
セールスが伸び悩んだが音楽評論家からは
大絶賛され、10代最後の日に3rdアルバム『壊れた扉から』
を発売しヒット。

同時期に行われていたツアーも満員となるなど
人気は絶頂を迎える。

20歳になり曲を生み出せない苦悩から
方向性を見失い突然無期限活動休止を宣言し
単身渡米する。

さらには覚せい剤取締法違反で逮捕
され精神的に低迷
1991年末に母親が急死。

交友関係も狭くなっていき、再び精神的状況は
悪い方向へ向かい。翌年尾崎も急逝する。

亡くなった時の状況が全裸で全身の殆どに
多数の傷やあざがあり他殺説も疑われたが
大量の覚醒剤服用による急性
メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と
結論付けられている。

内臓も覚醒剤を経口摂取した形跡があり、
肺にも覚醒剤中毒の症状が見られたという
検死をした支倉逸人の著書によれば、擦過傷と
打撲傷をじっくり調べた結果、他者からの暴行によ
り生じるのとは異なる状態であったと。

それを裏付けるように尾崎が転倒したり暴れて
転げ回っていた証言の警官の確認もあり、この
異常行動は覚醒剤中毒者によく見られるものである。

なお、支倉によれば頭部に小さな外傷性くも
膜下出血も確認されたが、極めて微量の出血で、
死に至るほどの重症ではないという。


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尾崎豊の1人息子の 裕哉がデビュー

尾崎 裕哉(おざき ひろや、1989年7月24日 – )
1992年4月25日 – 2才の時、父・尾崎豊 死去
幼少時代を母親と共にアメリカ・ニューヨークで過ごす
2008年6月 – アメリカンスクール・イン・ジャパンを卒業。
2008年 – 慶應義塾大学環境情報学部に入学。

尾崎の息子の裕哉の声だと知ったときには
本当に鳥肌もんだった。

あの曲だけでも、この裕哉氏の声!まさに生き写しだ。

彼が2歳の時に尾崎豊さんは亡くなられてるし
あの独特の魂を込めて歌う歌い方を真似した
風とも違うのに、往年のファンや尾崎の声を歌を
知ってる人なら理屈でなくDNAを感じざるを
えなかったんじゃないでしょうか。

そんな彼は2004年からトリビューアルバムで
『”BLUE” A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』
『THE JAPAN GOLD DISC AWARD 2005』に
“HIRO”という芸名で、須藤晃の息子・Tomi YoとCrouching Boysの
メンバーとして参加、「15の夜」を歌っている

また現在インターFMでラジオDJとしても
活躍されてます。

昨日10月10日には大阪のライブハウス「
DROP」でライブイベントを行い父の楽曲を
歌ったらしいです。

ちょうど父が亡くなった年の26歳になった
裕哉氏は父親と比べられる事にプレッシャーを
感じつつもこのように、お客さんに、見て
もらえるのも父がいたおかげだと。

尾崎豊亡き後に~

過去のインタビューでは環境や社会問題を
音楽で解決する
方法を研究していく。

完全に歌手としてデビューするとは言ってないが、

ファンとしてはあのカリスマ尾崎豊の分身。

あの歌声を聞けば存在事体がありがたい。

そんなプレッシャーとか、関係無しでどんどん公に
出てくれたらと思う人も少なくないと思う。

まだ26歳。くしくも父はこの若さで世を去ったが、
その分尾崎の再来としてこれからの活躍を楽しみにしたい。
久しぶりに尾崎豊聞いたけど、やっぱりカリスマです。

胸をわしづかみされた感じにさせる人でしたね~


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