名張毒ぶどう酒事件の奥西死刑囚が死亡!家族や評判は?無罪?

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世間を震撼させた昭和の未解決事件の主犯格である人物が54年の
歳月を経て事件の解決を見ずに八王子医療刑務所内で死亡した。
今だ未解決な事件は数あるがこの昭和を代表する事件の真相は
一体どうだったのか?逮捕されながらも最後まで無実を
訴えていた奥西死刑因とは?に迫りたいと思います。

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目次

名張毒ぶどう酒事件とは?

1961年3月28日の夜三重県名張市葛尾(くずお)
地区の公民館での農村生活改善クラブの総会で
起きた事件です。

男性12人女性20人が出席する中、男性には
清酒、女性にはぶどう酒がふるまわれ、その後
ぶどう酒を口にした女性17人だけが急性中毒の
症状を訴える騒動に。

その内5人の当時25歳~36歳が死亡する事件と
なります。

内1人が奥西死刑因の妻(34歳)
もう1人が奥西の愛人(36歳)
だった事や、
女性らが飲んだぶどう酒に原因があると調べたところ、
農薬が混合されている事が発覚した。

当然関係のあった奥西が「三角関係のもつれ」
からの犯行の動機とし、翌月4月2日の時点では
亡くなった妻の犯行との主張としていたが4月3日
には自身での農薬混入を認め逮捕にいたる。

が、その後、逮捕後の取り調べから
犯行否定に転じる。

奥西死刑因の評判って悪かったの?

奥西勝死刑因の人物像は、きつい仕事も
率先してやる優しい人で人望もあったみたいです。

家庭でも子煩悩だったと言われています。

結構調べましたが、女好きではあったようで
画像を見ても分かる通り当時にしても結構な
男前、相当女性にはモテたようです。

調べてみても予想通りかなりモテる人
だったらしいです。

かなりな美男子で地区内の何人もの女性を巡って
三角関係、四角関係が複雑にからみ
あってたのは有名だったらしいです。

町内でも公然の事実だったらしく、ひいき目に
みても人として優いけど、女好きの女たらし
な一面はあったのかもしれません。

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奥西死刑因に残された家族はいたのか

家族は実母のコヒデさんに妹さんが
見えたようです。

事件で亡くなったとは言え結婚されてた
妻との間に長男と当時中学に
上がる前の長女が居ました。

奥西死刑因が事件当時35歳だったから逆算
すると当時長男15~16歳長女が12~13歳位では
ないかと思われます。

そこから1審の無罪判決で釈放された約5年間意外
刑事施設に収容された期間は約50年だ。

それぞれ60代中盤といったところか。
残された家族の気持ちを考えると何と数奇な
運命なのかと思えて仕方ないですね。

本当は無罪の可能性もあった

無実を訴えながらも刑務所で亡くなった
奥西死刑因。

ですが、今回調べて、事件当初の1960年代独特
の村社会の目に見えない力関係や、あの当時から
あったであろう警察の圧力も関係があっての死刑
判決だったようです。

近年問題になった袴田さんへの取調べは
過酷をきわめ冤罪と認められたのは有名な事実です。

同じ時代に、このような事件で全く袴田さんと
同じでしょ?とは思わないまでも、じゃ少しも
無かったか?といえばまたそこも違うような気もします。

可能性としては無罪もゼロじゃなかったんだと
思ってしまいました。

ゼロでないなら何て悲しい人生だったのか?
と思わざるをえません。

数奇な運命をたどった奥西勝さん、享年
(89)歳長い間お疲れ様でした。安らかに

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