藤圭子の生い立ち韓国や旭川の貧乏生活から母親を怨んだ壮絶過去

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悲劇的な最後で世間を騒然とさせた昭和の歌姫、そして現代の歌姫宇多田ヒカルの実の母親として様々な形で語られる元歌手の藤圭子。

壮絶過ぎる生い立ちや両親や兄弟との極貧を極めたと言われる、旭川の貧乏生活が逝去まで彼女の病気として精神を蝕んだと言われている。

そのルーツとなる壮絶な過去と母との関係を追ってみようと思います。




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目次

藤圭子プロフィール

指名:藤圭子
本名:宇多田純子
生年月日:1951年7月5日
出身地:岩手県一関市
出身地:北海道旭川市
死没:2013年8月22日(享年62歳)
活動期間:1969年~1979年
     1981年~1998年

藤圭子の生い立ち極貧生活だった旭川時代

岩手県で誕生した彼女は3人兄妹の末っ子として父親は浪曲歌手の阿部壮氏、母が盲目の三味線弾きの竹内澄子との間に誕生する。

だが暮らしは貧しく浪曲家だった両親の元3人の子供らも旅をして歌って金を稼ぐ、両親について歩く生活で当時の時代背景を考えても、相当な貧困状態で育ったと言われています。

出生地の岩手から北海道の旭川市に移り住んでもその生活は変わらず、彼女も10歳からは両親について歌うようになったと言う。

北海道の中でも旭川真冬はマイナス20℃が平均と言う環境の中、車など当時あるはずもない家族大雪の中膝まで雪に埋もれながら何時間も一家で歩いたという。

唄う先を目指して、時には止まる宿さえ見つからないときもあり、そんな時は豪雪の中家族5人で寄り添って町外れのお堂の中で眠る事もあったそうです。

こんな生活でまともな学業も受けれるはずもなく、優秀で勉強の出来た彼女は当然進学したかったが中学卒業と同時に家族の為に~と進学を諦めたといいます。

それでも生活は苦しく、両親は自宅のあった北海道や東北を中心に旅回りをし、お祭りや炭鉱、寺の本堂旧家の大広間などで歌をうたいって金を恵んでもらうその日暮らしを送る生活ぶりでした。

あまりに食べられず、兄妹らで豆腐や納豆を近所に売り歩き、食い扶持をしのいだりもしていたとか…




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藤圭子「母親だけは絶対許さない」の壮絶過去

そんな生活が続く中、家族の転機となったのは偶然彼女の歌を聴いた、作曲家に見初められた事がきっかけでした。

作曲家だった男性に声を掛けられた彼女は当時17歳。

東京に上京して、1969年「新宿の女」で歌手デビュー

昭和44年高度経済成長真っ只中に20周連続1位の快挙。

続く1970年に『圭子の夢は夜ひらく』は77万枚の大ヒット。

だがこの大ヒットから彼女に多額の金が入る事で圭子が稼いだ金にも関わらず、それが元で圭子の家族は家族崩壊となっていく。

両親は離婚。そして母親は度々圭子に金の無心をしたと言う。何度も、何度も・・・・

それでも目の不自由な母親を一人にはしておけないと彼女は母親を引き取って父親とは絶縁。

都心の一等地に建つ高級マンションで母との生活を始めるが、彼女の喉にもポリープが出来てしまい手術をするも、以前の歌声を取り戻せず相当ナーバスになっていったといわれています。

そして70年代後半になると同じ怨歌を歌っても時代の変革期だったのか、ヒット曲がまったく出せない状態となり上手く乗り切れなかった圭子。

この時の母子のやり取りも何かしらひと悶着あったといわれているようです。

この後事あるごとに当時の仲間たちに

『母親だけは死んでも許さない!』この言葉を口癖のように聞いた人は何人もいたといいます。

当時の詳細は無いものの、彼女が歌手引退直前で断絶状態になったのでは~と言われています。

先の「許さない」発言もこの後の事と、その後母親が2010年に亡くなっても通夜も葬式にも彼女は参加しなかったようです。

結局彼女は1979年歌手を引退。そのまま単身アメリカへと渡米して、その地で宇多田照實氏と出会い、娘であるヒカルを産みます。

藤圭子と韓国との関係とは~

この宇多田氏との出会いでまた彼女の人生が変わり、そして現在の歌姫宇多田ヒカルが誕生したのだが2人の結婚生活も、藤圭子にとっては安定した生活とは言い難かったようです。

そして晩年まで彼女と韓国とが関係あると言われたのも、この宇多田照實氏が韓国人では~?との疑惑があった事が発端だったようです。

確実では無いですが藤圭子自身は日本人で宇多田氏の方が韓国人ではないかと言う噂があるようです…

彼女自身は最初の結婚を1971年に歌番組での共演で知り合った当時大人気の内山田洋とクールファイブのボーカルだった前川清と結婚するも、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気歌手2人の結婚生活は続かず翌年1972年離婚。

その後音楽プロデューサーだった宇多田氏と1982年に結婚し、83年1月には宇多田ヒカルが誕生するもその後、結婚離婚を7回も繰り返しています。

最後の夫宇多田氏曰く1988年頃から精神疾患を患っており、その様子は徐々に悪化して1990年には歌手になるモチベーションとして「母の目を治してあげたい」の想いから歌手になったにも関わらず母子も絶縁状態になります。

藤圭子の最期~

2013年8月22日都内新宿で倒れているのを発見、最後の終の棲家としていた新宿の高層階マンション28階の13階に6年前から知人男性と住んでいたそうで最後は自身で飛び降りたようです。

その後着衣の乱れなどもなく事件性が無いことから自殺と断定。

その年のはじめに書かれていた遺言書には本人の強い希望から、通夜、葬式はなく、宇多田親子と親族数人で火葬のみ行われ、その後遺骨は海に散骨されたそうです。

紅白出場した歌手としては大変珍しいことで驚きますが、本人の強い意思のもと遺言書もしたためられていた事から実行されたようです。

幼い頃から貧困生活を送り、少しでも家族が楽になるならと進学も諦め歌手としてデビューし「一卵性親子」と言われる程仲の良かった母子で母の目を治してあげたいからと歌の世界でスターとなった藤圭子。

その母子とも彼女が望んだ通りに稼いだ巨額の金で親子の関係が崩れ、実の我が子である宇多田ヒカルも第二の人生と結婚し独り娘ヒカルをもうけ彼女の才能を育てる為だけに、日本へ出稼ぎ帰国して稼いではニューヨークに帰る生活を送り、その才能を誰よりも信じていた藤圭子。

実際宇多田ヒカルがデビューして爆発的大ヒットとなり巨額の金を稼いだことで、またそこでも親子や家族の関係が悪化。幸せになる為にいつでも彼女は家族の為と身を粉にして働き尽くしてきたのに結局彼女が求めたモノは手に入らなかった。

その最後は「誰が見ても危ない状態だった」と言われる程精神をむしばんでいたといわれています。

誰も信用できない銀行も人もといいニューヨークのケネディ空港で49万ドル(現金5000万円)近くをキャッシュで持ち歩き、空港で没収されたのは有名な話です。

彼女は既にそのころ翻弄されていて現金を持ち歩きカジノを渡り歩いていたのだと。

藤圭子が求めたモノ

極貧生活の北の国少女時代から家族の為と歌を歌いお金を稼ぎ、そのお金を稼ぎ歌手として成功した事で家族は崩壊した。

新たに作った我が子との家族も一人娘のヒカルの才能と成功を誰よりも願い、誰よりも望んだ彼女は結局成功したと同時に、また家族との関係に疑心暗鬼となる。

1つのきっかけはヒカルの最初の結婚相手の紀里谷と結婚するとき、ヒカルの個人事務所の役員を外れて欲しいと言われたことが関係悪化や疑惑の根源となったようです。

「結局、役員は外れなかったそうですが、“家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった”といっていました」
「ときには少し涙ぐむ様子で“ヒカルは冷たい”と何度も何度もいっていました。家族からもう完全に孤立しているという感じでした」

「藤さんは“いまは現金がいちばん信用できる。家族が冷たいから現金を持ってギャンブルに歩くのよ”と寂しそうに何度も話していました」
news-postseven:引用

本当に欲しかったものは誰でもない家族(母親や娘)との絆だったのに結果彼女が頑張れば頑張る程、エンタメの世界で成功はしても家族との絆はお金が入ることとは反比例するかの如く手からすり抜けていった。

どうして?こんなに私は頑張ったのに、どうしてみんな私から遠ざかっていくの。こんな想いから彼女は独り自分自身の精神を追求していってしまったのかもと思えて胸がつまされる思いです。

藤圭子が望んだのは家族との絆だったのに、真逆の孤立となってしまった…哀しすぎて寂し過ぎて絶望の中孤独に耐え切れず最悪の結果を選んでしまったのかもしれません。孤独にはもう耐えられないと…





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おわりに

この壮絶な生い立ちがあったからこその藤圭子があの高度経済成長によって誕生したと言われているが、でもこの生い立ち(母親)によってまた彼女の幼少期からの精神状態に何らかの深い影?闇をもたらした事も決して否定はできないだろう。貧しかったのは仕方無いかもしれない。でもその後スターとなった娘に異常なまでの金の無心をしたとなればやっぱり彼女は不幸だったとしか言いようがないだろう。スターとなっても心の拠り所が見つからなかったとしたらそれが最大の不幸なのは言うまでもない。早すぎる死にご冥福をお祈りします。



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