本田圭佑の生い立ちが壮絶!母の病気と家族崩壊の兄との子供時代

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移籍先のACミランでの苦しい立場から終わった
とも言われる絶対王者だった本田圭佑。

彼の様々な過去の名言や活躍も今の彼の海外での
反応を考えると日本代表も世代交代の波が来ている
のかもしれない。

誰もが避ける事に出来ないこの現実と彼の子供時代の
壮絶な生い立ちを改めて振り返ってみよう。

母の病気が原因で家族崩壊となった本田家の壮絶な
生い立ちとは~を追ってみる。




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目次

本田圭佑の生い立ち

大阪摂津市生まれの本田圭佑は父の司の生家である。

この地で昭和30年代に建てられた木造2階建ての
長屋風家屋がひしめく1階4畳一間と台所、2階も6畳
和室と小さなベランダのある家で幼少期の彼を含む
6.7人での生活だった。

家族父
出典:http://happpy777.wp-x.jp/1839.html

父の司氏は調べによるとかなり山師
ような男で若い頃から仕事が長続きせず、
それでいて野心家
というような、
ちょっと聞いただけでも厄介そうな男だったそうだ。

本田圭佑が日本J1で活躍しても平然と
「あれくらい、大したことない」
などの発言が多い事からかなり厄介な
タイプだった事は容易くうかがえる。

実際圭介が小学校にあがる前の松茸の野菜輸入で
卸業が軌道に乗った時期もあったようだが、
会社を起こしては潰すの繰り返しでかなり生活は不安定
だったと言う。

本田圭佑の母親の病気とは~

そんな生活の中元々身体の弱かった妻(圭介の実母)は
圭佑小学2年生で精神不安定になる。

その後すぐに離婚した母は実家のある岡山に戻り
事実上その後圭介とその兄の弘幸を育てるのは
彼らの父親の圭介から見た祖父・満さん(故人)
と祖母・晶子らが育てる事になる。

生活は父の司が安定しなかった事からとても困窮
していたようだ。

母

小学生で兄を追い地元サッカークラブ
「摂津FC」に入団。

貧しさや母が居ない事への寂しさを紛らすかのように
サッカーに没頭した。

冬場でも半袖半ズボンの薄着でサッカーに熱中していた

この年代では、やはり母親が居ない意外にこうした
過去情報はあり得ない。

女親がそばにいたら、まともな母親なら絶対に
こんな事はさせない。

これも破天荒過ぎる父親の原因だと考えて間違いないだろう。

だってそうそう簡単に精神は壊れないと思います・・・汗
母
出典:http://pigpigace01.com/archives/569

この小学校時代兄と貯めたおこずかいで、家族に内緒で
何千円かの金を貯めて離婚した母親に会いに岡山まで
行ったこともあると言う。

どれだけお母さんに会いたかったか、
会いたくて会いたくて
仕方無かったのだろう。

ビックマウスの本田の幼少期がまさかの
こんな切ない幼少期だったなんて・・・




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本田圭佑の家族崩壊の始まり

祖父は当時ガスボンベを工場などに運ぶ運転手
でも当時は司の姉の子供ら2人も面倒見ていた本田家は
それでは育ち盛りの子供らを食べさせることが出来ず、

祖母の晶子さんも清掃業や食堂の皿洗いなど
常に3つ程の仕事を掛け持ち
、その為圭佑らが
学校から帰っても誰もいない状態だったと言う。

仕方がなかったとは言え子供時分にはとても寂しい
幼少期を送ったそうだ。

大叔父の本田大三郎氏が圭介の幼少期を振り返って
こう言っています。

『小さい頃から何でもひとりでやらないと生きていけない
環境だった。親の愛情を知らずに育ち、可哀想だったね」

こんな環境だったからか祖母が言うには日本に
帰国しても祖母らのいる大阪の実家にはほとんど
帰ってこないんだそうです・・・

何年もあってないらしいです。




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おわりに

しかし想定外に波乱万丈な彼の生い立ち~今でも日本に帰国すると母親の施設には必ず足を延ばすんだそうです。
両親の事情とは言え小学2年生で母親と離れ離れになった事がどれだけ当時の彼に寂しい思いをさせたのか?そう思うとそんな寂しさもバネにして夢を掴んだ彼のメンタルは最強そのものです。ミラノでの評判が最悪レベルの彼ですがどうか諦めないでまだまだ頑張って欲しいですね。


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    1. 澤穂希アイキャッチー
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