おおたわ史絵母親の病気が薬物依存に豹変した虐待と孤独死に慟哭

この記事は3分で読めます

女医タレントとして情報番組のコメンテイターと
しても活躍するおおわた史絵さん。

以前放送されたイケメン旦那と暮らす優雅な暮らしも
話題でとっても素敵なご夫婦のおおわたさん。

だが彼女の幼少期は実の母親の薬物依存との闘い
に巻き込まれた壮絶な過去があった。

優しい母の病気と薬物依存症に変化して虐待を受けた
壮絶過去とその最後の孤独死発見までを追ってみよう。




Sponsored Link

目次

おおたわ史絵の幼少期と母の病気

父親が東京下町の開業医で母親が看護婦の環境に
誕生したおおわた史絵。

一家には家政婦が居る状態で何の不自由もない
裕福な医者の娘だが、彼女の母親には
ある問題があった。

今から3年前に亡くなった母親は幼少期の時の虫垂炎
処置が遅かった事が原因となり大人になっても慢性的な
痛みとなり慢性腹部痛が持病となっていた。

それは相当な痛みだったようで彼女を出産後には
寝たきりの生活を送った程ダメージは大きかった。

おおたわ史絵の母親は薬物依存症に豹変

そんな痛みに耐えかねた(母親)が手にしたものが
医師であった夫(おおわたの父)の診療所から
鎮痛剤を持ち出して
勝手に打つようになった事。

人の痛みは他人には分からないモノ。

相当な激痛だったのだろう。

当初は一時の鎮痛剤のつもりで手出しした薬が
やがて回を重ねる事に結局幻覚などの中毒症状
出るようになる。

徐々に正気を失っていく母親は性格も豹変し
その生涯を依存症状
苦しむ事となったと言う。

おおたわ史絵が母から受けた虐待

そして当然苦しんだのは母親だけでなかった。

幼かったおおわたにもその影響は大きく、
攻撃的な性格になり、その対象として
自分の娘(おおわた)もその対象となる。

母薬物依存
出典:http://saract.com/news/ootawa_doctor-1099/3

日常的に娘を罵り、そして暴力も始まったと言う。

暴力の内容も壮絶で「布団たたきで叩かれた」
「椅子から突き落とされた」
等は序の口でテレビでは語れない内容の暴力も数々
受けたそうだ。

10年以上前に父が亡くなってからは娘への関心が
一層強くなり「一日中電話をかけてくることもあった」

とうぜん既に自分の生活がある彼女はうとましくなり
母との距離を取るようになる。

致し方ないだろう・・・
晩年までこの調子だった母親に次に会った時・・・




Sponsored Link

おおわた史絵の母孤独死の慟哭

距離を置いてもやっぱりそこは親子。

『これではいけない!』

そう思い彼女は母親の好物だった刺身を持って
久しぶり母親に会いにいった。

そこで彼女が久しぶりに見た母親は一人
誰にも気づかれず孤独死をしていたという・・・

それを発見した娘。

もう亡くなっている事は明らかだったのに
彼女は衝動的に、医師としてか?それとも娘としてか?

亡くなっている母親にまたがり心臓マッサージを
施したという・・・

何の不自由もない医者の娘として育ち、そして当然の
ように自分も医師として活躍し女医タレントとしても
世間の羨望の眼差しを浴びてきたであろうおおたわ史絵さん
の壮絶な知れれざる過去。

あまりの衝撃的な過去とそして母親の最後に
どれだけ彼女が打ちのめされたのだろうかと
思うと胸が詰まる思いです。

薬物と医療も紙一重ですね。

ちなみに身内に看護婦がおりますが全身麻酔などの
大きな手術の後、患者が起きて暴れても良いように
ベットに手足を縛り付けるんだそうです。汗

基本、麻酔の量や個人差はあるそうですが
発狂したり暴れたりする方がほとんどなんだ
そうです。

それって多分モルヒネで発狂するんですよね・・・

恐ろしいです。汗

最後におおわたさん自身の言葉で、
「依存に過去形はありません。つまりやめた、ではなくやめ続けている
が正しいかな。ずっと永遠に死ぬまで続く闘いですね。」





Sponsored Link

おわりに

はたからみたら何の苦労もなく優雅な医師の一家に誕生して、自身も医師となったおおわた史絵さんが今までの印象だったがやっぱり人って深追いしてみないと分からない。一番の理解者であった欲しいはずの母親がどんどん壊れていく様を自身にもその影響を虐待や暴力という最悪の形で受け止めるしかなかった過去。言葉に尽くしがたい壮絶な生い立ちがあって現在の彼女があるのでしょう。これからも応援したいですね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

管理人 さゆりです